観劇覚書

2011年11月24日 13:30〜
あゝ、荒野 
青山劇場 
作:寺山修司
脚本:夕暮マリー
演出:蜷川幸雄


男性主人公の青春群像は
あいにく、いつも入り込めないまま
作品が自分の上を通り過ぎてゆく感覚が否めないのは
経験や思考や、あるいは、固定概念などが振り払えないせいなのだろうか?
村上春樹の初期の作品や、
昨年映画化されたノルウェイの森なども、
そういった、ある種、ふわふわした雲の中をすすむような。
妙な不安定さの中の観劇だった。


開場した劇場に足を踏み入れると、
緞帳があがったステージで人々が思い思いに時を過ごしている風景に面食らった。
15分前、8分前、3分前というカウントダウンで
じりじりと心が追いつめられてゆく感覚を、
昨年走ったマラソンの時以来感じる(大げさ/笑)
ステージ上の出演者の人々が気づくと隊列をくんでおり、
overtureのダンスが繰り広げられた。
舞台は新宿。
おびただしい数のネオンが下げられ、
人々の雑踏(それはおおよそ、現代の新宿からは想像もつかないような)
を浮かび上がらせた。
始終何か緊張の糸が張りつめていた中で、
勝村政信さんのアドリブが人々に柔らかさを与えていた。
それからヒロインの女性がパンフレットの
プロフィール写真を見ると驚くほど古風な顔立ちなのに、
舞台の上での表情はくるくるとめまぐるしく変わり、
本当に華の様だったことに、女優の魂を感じた。
女性は素晴らしい、そして、時に、恐ろしい。


男性や女性というだけでなくて、
この作品に描かれている人々達の多くは、
私たちとは違う世界感で生きており、
共感を抱くことが難しかった。
自分自身が共感という手段以外で心を震わせられなかった事が惜しいし、
長時間の観劇は体力を消耗するし、
わたしにはまだまだ観劇のツボを押さえられていないし
修行が足りないと思った(笑)


多角的視点が必要だなと
そんな風に。